疲れていた
写真は入院中の病院のラウンジからです、何処だか分かりますか?
暇になって気付きました、思い起こせば新居に越して以来、両親の介護などでまともに休んでいませんでした。
そして六月に父を看取り、その後も父や我々の身辺整理も含め、動き続けました、せめて今月七日の父の四十九日まではと張り詰めていたのが分かります。
しかし、そんな私にも遂に限界が来たのです、これでは、残された家内がかわいそうです、母が酷い認知症なのです、それでも家内は、遅い仕事帰りに、毎日見舞いに来てくれているのです。
妻へ、感謝致します。
母は、今聞いた内容が次々に壊れ、昔の会話がいきなり今の会話に出てくるのです、なので会話にならないのです。
ただ聞いてあげれば良いと皆さんはおっしゃると思います、違うのです、伝わって欲しい事が全く伝わらないのです、それもこの暑い最中、症状は日増しに悪化しています。
この後、父の四十九日もありますので山姥(やまんば)みたいな頭をしていてはこまるのです。
和服を着ることは出来ないまでも、母は、せめて父の妻であったのだから、最後のつとめを綺麗な姿で終わらせたいのです。
こんな事は本当は話したくないのですが、母と話していると、こちらまでおかしくなって来るのです。
でも母の事は少し忘れて今は静養につとめます、家内の為に、何とか父の四十九日の喪主は務められそうな感じです。