仕事としてのオーディオ
趣味としてやっていた頃のオーディオは楽しかったです『仕事にしなければよかったなぁ』いつもそう思います。
仕事となれば責任があります、自分だけのケーブルや設置の仕方(お膳立て)は、個人が良いと思い、たまに友人を招き、好きならば聞かせてあげたらいい、しかし、今は作って購入していただくので、責任があります、ポリシーと理論をもって作っているので、一般的なケーブルより音がよくて当たり前なのです。
今は疎遠になりましたが、私にも昔東京近郊のビンテージオーディオショップで偶然に知り合った、ウエスタンエレクトリックの研究家がいました、その方を師匠と慕い、オーディオのたくさんのことを学びました。
お伝え頂いたのは、回路等の難しい事より聞き方です。
どう変化したのか正確に答えないと、厳しい言葉が飛んで来ました、そう、当時の私は再生音というものを理解していなかったので、それを厳しく指摘され続けたのでした。
しかし、師匠は私が使っているシステムを選んだセンスと、オーディオに対する姿勢をとても褒めてくれたのです。
こう言われました『お前はこれだけの機材を揃え、上手く使いこなしているけど、少し聞き方がひねくれている、それを直せ』との事でした。
その時、師匠は三本の絹巻ピンケーブルを作ってきてくれたのです、私はもともと太いケーブルには否定的だったので、師匠がご持参されたケーブルの凄さはすぐに理解できました。
音が二本のスピーカーから剥がれて整理整頓される、そんな感じを受けました、それをお伝えすると『第一段階は合格だが伝え方にストーリーがない』と仰いました。
そして、同じケーブルを作る事を承諾いただき、約三年の仮免許から、免許皆伝となった時は嬉しかったです。
そして、月日はながれ、ある日『俺の弟子だ等と言わずに、お前は独自の路線を進みなさい』と言われ突き放されたのです。
突き放されたと言うよりは、独立させてくれたのです。
かなり有名な方で、かなりのオーディオ評論家先生も師匠には頭が上がらない程なのです。
ステレオサウンド別冊の管球王国にも、何度も登場されています、なので、私の作るケーブルは一番であり続ける必要があるのです。
趣味を仕事にするにはそれなりの覚悟が必要だったのです。
そして、師匠から言われた最後の言葉は、長い時間飽きないで違和感なく聞いていられるシステムが、良い音のシステムなのだと思う、との事でした。
全くの同感であります。