認知症の介護
私の母はアルツハイマー型の認知症です、主治医の診察によると程度は中の下位との事、病院へ行くともっともっと大変そうな患者さんをお見かけします。
最近、テレビのニュースで観ます、認知症の方の介護に疲れ、家族が食事を与えず死亡させてしまったり、突然奇声をあげて襲いかかって来るのでびっくりして殺めてしまう、こんな事件が増えて来ました。
実際、介護を申請しても満足な介護を受ける事はなかなか出来ません、それは我が家も同じです。
しかし、食事を与えない気持ちも、殺めてしまう気持ちも正直分かります、介護は一人では困難な事が多いのです、私は家内に色々教わり、かなりなれて来ました。
我が家は家内とタッグを組んでますからまだ良いのですが、それでも完璧とは言えません。
認知症の方が常に安定した心でいるわけではないからです、一日の中で時間によって感情の変化が大きいのです。
認知症は総てが普通の方と逆な行動をしてしまうため、介護する方は混乱してしまうのです。
例えばどんな事かと申しますと、切ってはいけない花壇のお花を手で千切って部屋の中に飾ってある、しかも枝は殆どなく花だけ。
外に咲いてる雑草の花を千切って来て仏壇に供えている、これも茎はほとんどなく花だけ状態。
我々が毎週買ってきていた仏壇のお花を全部枝を短く切っては花だけ状態にしてしまう、対策として生花は止めて固い芯の入った造花にしました、流石に母の力では切れません、今ではそれも完全に忘れています。
最近止めたのはヨーグルトの配達とセサミンや新聞です、なぜやめたのか。
ヨーグルトは二日間分届くのですが、その時に一気に全部食べてしまうのです、更に玄関の外に配達された事を忘れてしまうために、真夏でも三日位経ってから部屋に持ち帰り全部食べてしまうのです、そしてしょっちゅう下痢をしていましたがなかなか原因が分かりませんでした、やめてから下痢はしていません。
セサミンは風邪の薬だと言って一度に全部飲んでしまったから、連絡して止めてもらいました。
新聞はチラシがたくさん入って来るので、一日中それを見て日にちや曜日を確認し、訳の分からない事を独り言のように話していたからです、認知症の為、もう目からの情報は入らないようです、当然、耳からの情報も入りませんが、たまに私の部屋に上がってきて音楽を聞きに来ます、歌詞カードを見ながら、すぎもとまさとさんの吾亦紅(われもこう)を聞くと、遠い昔の話の分かる母に戻るのですが、直ぐに壊れてしまうのです。
認知症のリラクゼーションに癒し系の音楽は良いとされていますが、これは症状や個人差があるようです、母には良いのかも知れません。
でも私をこの世に生んで育ててくれた大切な母を、せめて私は私だけは分かってあげたいのです。
母のおかしな行動には後から忘れてしまうのでしょうが、その時は母なりの考えが必ずあるはずなのです。
これを夫婦で百万回考え話し合っていますが、多分どこにも答えはないのです。
こう思います、自分が後悔したくないから母を大切にしたいのだと、家内も同じだと思います。
同じ境遇の方々へ、大変でしょうが、頑張って下さい、でも辛い時は辛いと言って弱音をはいて下さい、そして、自分を認めて下さい。
いつか必ず終わりは来ます、そしてまた何事もなかったかのように、また必ず日は昇るのです。