我々の日常
言葉は悪いが、最近我々はこう思う、残された母を穏やかに送ってあげる事、今これに時間をさいているといった方がいいのかも知れない。
以前は母の認知症が少しでも良くならないものかと、頑張った事もあった。
しかし何をやっても試しても母は壊れて行くばかり、もう駄目なのを悟った。
家内も以前は母を人間として扱ってくれていた、母は家内に対しあまりに毒を吐くので諦めたようである。
当たり前だと思う、先の見えない、良いことなど何一つない介護なのである。
若い頃の母は明るく活動的で聡明だった、色々出来なくなってきて、その理由が分からなくてイライラしてるのである、それでも色々考え、更に壊れる。
母が家内を自分に寄せ付けないのは、息子と言う世界一可愛い存在を自分から奪った唯一の憎い女だからだ。
多分頭が壊れ理性がきかないので、取り繕っていた言ってはいけない本音だけが残ったのだろう。
母には悪いが私は家内の見方である、そんなこと話すまでもないだろう。
しかし、自由はなくても少しでも面白おかしく、人生を穏やかに終えてもらいたい、今はそう思っている。
それにしても、こんな状況下でも 我々は結構楽しんでいる、人間とはいい加減でじつにたくましい生き物だ。
今日も珍しいシャンパーニュが入ったというので 、ソムリエの店へ伺って来た、そして何本か購入して来た。
我々は自分達が好きな作り手のシャンパーニュしか飲まなくなった。
いくら有名でも嫌いなものも沢山ある、逆に有名でなくても(日本人が知らないだけ)知る人ぞ知る実は有名な頑固な作り手もたくさんいる。
そんな事で、介護が大変でも楽しくしっかり息抜きはしているのである。
母を守る為に、母にはもう事実上我々しかいないのである、その我々が自らを追いつめないように息抜きが必要なのである。
しかし、遂に手が出てしまった、顔を殴った訳でないが、肩を叩きつっ飛ばしてしまった、母は一メートル程吹っ飛んで頭を打った。
しかし、母は暫くぶつぶつ言っていたが、三十秒程で忘れてしまった、それでも私を頼ってくるのである。
自分が情けなくなった。
私は次の日母に謝った、やはり覚えてない、ただ一言「ごめんな」と私に言った、話を理解しようとしているのだが、もう耳からの情報がないのである。
数日後、私は母に断捨離をして部屋を整理して、新たに作ったオーディオラックや、綺麗に片付いたレコードや部屋全体を見せた。
母は目を丸くして驚いていた、そう私の仕事を忘れていたからだ、母は一時間位私の部屋を離れようとしなかった。
まるで目に焼き付けるかのように、部屋を何度も何度も細やかに見ていた。
「母さん、これが俺の仕事なんだよ」母が降りて行った後、何故か涙がこぼれた。
もう二度と手をあげるのはよそうと思った、母の愛は無償の愛なのだから。
>母にはもう事実上我々しかいないのである
どこか家の外からの助けがあるといいですね