ブルートゥース
床屋さんは今年の一月のはじめ頃に行ったっきり四ヶ月ほうったらかしになっていた、「正直自分の頭などどうでもいい」そう思っていた。
しかし「夢を売るのが仕事の私が、見た目を気にしないのはよくない」家内に言われやっと自分の風体が気になった。
それで飯田橋にあるラーメン屋さんびぜん亭へラーメンを食べがてら、世田谷の床屋さんへ行って来たのである。
床屋さんへ入るなり、ダイアナ・クラールが鳴っていた、耳を疑った、以前より音が柔らかくしっかりしていて、うるさくなく低い音階が下へのびるようになっていた。
「ブルートゥースもありだな」そう思わざるを得ない、どうこう言って、このサイズではけなすところがない」そう思った、それどころかこれほどうまくなっているオーディオが少ないのも事実である。
確かにつぶさに比べると、あらはたくさんある、でもこれが現代のオーディオの現実なのであり、私はこれを進歩と捉えたい。
オーディオのスペースがなかなかとれない時代、小さな音量で夜に酒を飲んで静かに聞いてるぶんには、何の不満も感じないと思った。
むしろ自分だけのこじゃれたBARが、部屋に出現するような気がする。
こうも思った、一般的な調整もされてないアナログならば難なく負けてしまうだろう。
特に古い日本の歌謡曲など、録音したばかりのソフトを聞いてるかのようだった。
その歌手とは宇多田ヒカルさんの母、藤圭子だった、聞いていて開いた口が塞がらなくなった、それほど美しく素敵だった。
何より音がスピーカーから聞こえない、今歌ってる次元で聞いてるように錯覚する程だった。
我が家に帰りJBL4560BKを聞いてみた、驚く事に私が四十年かかり鳴らした音に酷似している、負けたとは思わないが、今一度聞いてみても多分感想は変わらない。
「ブルートゥースなど所詮デジタルノイズだらけの音なのだろう」勝手に思うのは勝手だが、もう時代はとっくにそこを超えている、そんな気がしてならない。
共通して言えるのは、ブルートゥースもウエスタンスピリッツのシステムも帯域バランスが整っていて、音像が小さい事であるが、ブルートゥースは音量を上げると化けの皮がはがれると思う。
ウエスタンスピリッツのシステムは、ボリュームを上げても、穏やかで余裕があると言う事である。
都会に暮らしていてボリュームを上げる事が出来ない、ソフトにお金がかからない、ブルートゥースはそんな方のみかたなのだと思う。
しかし床屋さん、何時もありがとうございます、私は顔も頭も小さいので、髪がのびるとみすぼらしい老人になります、何時もお洒落なヘアーマニキュアビビッドブルーをありがとうございます。
おかげで家内が私の頭がやっと小さくまとまったと喜んでおります。
めでたし!めでたし!(笑)
この時代、ブルートゥースシステムもあり、と私は感じています。
だってみなさん、なかなか帯域バランスがとれていないんですもの。
因みに私事ではありますが、右目の腫れはかなりおさまり、後は白目の赤みが少し残るのみで痛みはなくなりました。
もう少しだな。