ここに住んで五年
知らなうちに、ここに住んでから五年と四ヶ月経っていた事になる。
毎日ブログを書いているので、確かに住んできた年数は分かってはいたが、実際に指折り数え、改めて細かく振り返ってみると、両親の介護に明け暮れた日々ではあったが、確かに楽しいことも実にたくさんあった。
介護は大変だったが、それを苦にしないで、楽しんでるところもあった。
永年確執があった父と私のお互いを遠ざけてきた厚い氷のような心の壁が、引っ越してきた次の日完全に溶けて分かち合えた事、私はこれを忘れない。
その日家内は二階で荷物の開梱を、私は三階の荷解きと整頓を、ホコリのなかでそれぞれ飲まず食わずでやっていた。
すると「おいっ!!飲まんか?」と父の声が、振り向くともう真っ暗だった、父が三階へ来ていた、私は「家内は?」と聞いた。
「何にもないがもう一階で飲ましとる、お前も来んか」私は「はいっ!!喜んでっ!!」と直ぐに降りて行くと、家内は真っ赤な顔して既に出来上がっていた、本当につまみは何にもなかった、大声で笑ってしまったが、もう近所のスーパーへつまみを買いにいく体力も残ってなかった。
父は「家族四人何にもないけど楽しいなぁ」と言った、このようなホッコリした飲み会(土曜日会)を頻繁に家族四人で出来たのも、実質一年半位だっただろうか。
しかし母の認知症は日を追うごとに進んでいった、父は今から二年前の六月二十日に突然、旅立った。
家内も私も父の死は淋しく、失った悲しみは未だに癒える事はない。
しかし母の介護もあったので、毎日の生活の中で一瞬忘れ介護に打ち込む事が出来たのも事実。
シャンパーニュをたくさん購入し飲んだ日々も、父との楽しき思い出を家内と語りあいたかったからである。
父の死は我々夫婦にとって、あまりに衝撃が大きかった為、シュトラウスを聞きながら、色々シャンパーニュを飲む位しか出来なかったが本音である。
なぜシュトラウスなのか?明るい曲調でその豪華さが我々夫婦の心を癒やしてくれたからだろう。
しかし、大変だった母の介護も施設へ預ける事により一段落した、結局は賛否両論あるかも知れないが、母の為に一番の居場所を我々夫婦は探しあてたのだと思っている。
オーディオも五年の間に随分進化した、私に自作アンプを作ってみては?と言っていただいた方もいらっしゃるが、私は昔、自作で極限を目指しアンプを作っていた男である。
しかし、もう優れた部品はどこにもないのである、作ろうと思えば今でも作る事は出来るが、今手に入る部品ではもう納得が出来ない、結果は目に見えている、だから作らないだけである。
とにかくありとあらゆる事を私は散々やって来て、経験済みなのです、これがコメントをいただいた返答でもあります。
オーディオは総て説明がつきます、もう答えは出ています。
出来るだけ素人の方にも分かりやすく書いて来たことが、誤解を招いたのも事実だと思いますが、このブログはやめません。
新居と書いてきたこのお家、もう五年経ったのです、後五年で上物(家屋)の価値は0になるのです。
我々夫婦も、いい意味で五年歳をとったのです。
結局この家の中に住んでいるのは、我々夫婦二人になりました。
時間的には余裕が出来ましたが、やはり何かが足りず、そのポッカリあいてしまった穴は、埋める事は出来ません。
いなくなったら分かります。