分かっていない事を認める勇気
私はこう思った、オーディオの真実が分かって来ると、何を勘違いしたのか分からなくなっている自分に気がついた。
そして変なプライドを持つようになる、なかなか他人の意見を聞いても認める事が出来ない。
オーディオは独りでは進歩しない、少しずつ気がついて来た。
そしてオーディオの何たるかを何にも分かってない自分に気がついた。
でも分かっていない自分に気がついても、なかなかそれを認める事が出来なかった。
自分は誰より鳴らしてる、そんなプライドがその理解を遅らせていた。
しかしそんな素直でない生き方が何時までも続く訳がない、三年程前の話である。
何も分かっていない自分を認めるしかなかった、しかし認めてしまうと意外と楽になった。
私は未だにプライドは高いが、それは自分が作ったケーブルに対してであり、そのプライドは奥に秘めている、自分自身のプライドはなくなった。
私はオーディオ以外では本当に駄目な男である。
もっと早くに謙虚な心でいられたら、オーディオの進歩も、もっと早かったのではないかと思う。
しかし私は59才になり気がついたのだが、確かに遅いのかも知れないが、知らずに終わるよりまだましだと思う。
人生は自分の殻を破った時から動き出す、そんな気がしてならない。
自分の考えだけで進歩できる程オーディオも人生も甘くはない、人間謙虚すぎてもいけないが、色んな人の意見を聞いた方が絶対に得である。
皆さん、私も含め、オーディオの事を、音楽の歴史を何にも分かっていない事をご理解下さい。
心優しかったレスター・ヤングは、テクニックでは語れません、多分、彼のハートがあの優しい音を鳴らし人々の心に響くのだと私は思います。
テクニックと話す人の言葉に耳を傾けてはいけません。
レスター・ヤングの演奏、それは傷ついた事のない人には分からないでしょう。