今日は実家の引っ越し前日
ここのところ、幾度となく私は実家の引っ越しを手伝ってきた、とは言っても仕事の合間にいくので、ほぼ父がやったのだが、明日の本引っ越しの為に、まだたくさん細かな荷物のまとめもあるので、前日である今日から泊まり掛けとなった。
三十年住んだ家からいざ引っ越すとなれば、三十年ぶんの荷物がもっとあるものと私は思っていた、しかし父はものをたくさん処分していたのだ。
部屋に荷物はそんなに残っていなかった、要するに引っ越しはほぼ終わっている。
私は二十歳の頃から、今の家内と結婚する迄の三十歳位までをここで過ごした、弟もまだ生きていたが、高校三年間と社会人になって一年間位、合わせて四年間位しか、ここには住めなかった、大学は北海道だったからだ。
大学を卒業し、父の会社(運送屋)へ就職、一年間位で大阪の営業所へ転勤になり、そこであっけなく、バイク事故で24歳という若さで風の様に逝ってしまったのだ。
その事を思いだしていた、弟はがっちりしていたが、背が小さく、私はバイクに乗るのを反対したが、コンプレックスがあったのだろう、反対するほどのめり込んでいった。
忘れもしない11月11日午前1時11分大阪の警察から、弟がバイクで事故をおこし、もう助からないと連絡が入った、詳しく聞くと、アルコールを飲んでいた事と、内蔵が全部破裂していたらしく、自爆だったらしい、次の日に弟の所へ駆けつけた時、既に病院ではなく、警察の裏側の小さな遺体安置所に寝かされていた、私は期待していたが、どんなに話かけても、弟の瞳が再び開くことはなかった。
昨日の事の様に思いだしていた、弟は結婚相手が決まっていて、結納まですんでいた、その相手に今の弟を見せるのは残酷と、通夜と葬式のあと、父は大阪で弟を荼毘にすることを決めた、地元にお骨を運び、地元で改めて通夜と葬式をする事になったのだ。
私は弟が荼毘にふされる直前最後のお別れに、父が少しだけ涙を見せたのをはじめてみた、母は暫く魂が抜けたようになっていた、私は何にも出来なかったが、一ヶ月くらいたったとき、でもまだ俺が居るよと、親父も居るよと、三人になったけど、力を合わせて生きていこうと、話し合ったものだ、しかし、弟は確かにいなくなった、二度と家に帰っては来なかった、その穴だけは永久に埋まる事などないのだ。
それから母は、どんどん歳をとった気がする、子供を失った本当の気持ちは、子供を産めない私や父には分からないのだろう、私は私で弟ではないのだから。
母は優しい人だ、ものに強い愛着があるのか、なかなか過去(荷物)を捨てる事への踏ん切りがつかないのだ、しかし父はそれに気付き、母が外出している間に、分からないようにたくさん処分したんだと笑っていた、痛々しい話だ。
しかし父はもう83歳だ、母は79歳、今回大変だったのだろう。
明日は私が引っ越し屋さんとの舵をとる、運んでもらった後の、開梱もある、気合いを入れるぞっ!
考えたくはないのだが、家が建った何年後かに、最後に後二回の大イベントがいつか必ずあるのだ。