オーディオは鳴らないのではない、なかなか鳴らせないのだ。
オーディオは、私の心の中では。そう結論が出ている。少し前の私は、部屋など関係ないとほざいていた。
そして、私がいつも語っているエネルギーロスを減らした良い音とは、一般の超高級オーディオ(現代のハイエンドも含め)を遥かに飛び越えたその先のお話である。つまりその音がJBL4560BKで鳴ったと書いているのである。これは大変な事である。
私はこの先、新居が完成する。そのリスニングルームとは、オーディオ専用に、しかも、単独で200V単相三芯でワン回路各々30Aである。中線が5㎜位の極太の電源ケーブルが来ていて、そのケーブルの外径は3㎝ほどあった。それを117Vと100Vに落とすノイズカットトランスを単独で総ての機材に入れるのだ。その単独回路が6回路ある。他に100Vは二回路ある。これも完全な単独回路である。
お金の話しはしたくないが、オーディオ専用の電源だけで予算が50万円上がってしまった。それでも工事の内容からすれば安いと思う。私は骨組みの状態から総てを見ている。
扉は背が低く100㎏位の鉄製の特注である。これが本物の防音ドアですと、作った方は自慢気にお話ししていた。部屋の密閉度が高いので簡単には閉まらない、けっこう力がいる。
何か良からぬ事が起きれば私はその部屋から出る事は出来ないだろう。普通の扉と違い上下に鉄の棒が収まっており。それがドアノブを回す事によりしっかり枠に数㎝刺さる様になっているのである。ドアが一旦閉まれば、分厚いゴムが間に入り反発するのでビクともしない。しっかりした家なので、そんなことはないが。地震でドアの枠が歪んだら、多分人力での脱出は不可能となる。窓は凄く小さく、猫しか通れない。
話しは元に戻る。しかし目の前でその音(電源がしっかりしていて、広い部屋の)をまざまざと見せ付けられてしまった。
その時、私の心は折れたのだ。ならば、私にはこれ以上狭い部屋では何も出来ないではないか。そう思ったのが二年程前の事である。
オーディオを心おきなく聞ける、そこそこ広いしっかりしたリスニングルームが欲しい。心底願った。
それから。今まで、他に出来る事はないか。色々な方向から自分のシステムを煮詰めていった。
ある日、冷静になって考えた。そして分かった。部屋は確かに広いに越したことはないが、与えられたスペースなりの鳴らし方がある事を。それが総てではないが、シンプルにしていくとスピーカーとの距離に関係なく、歪みが減り音が良くなる。
では何のために自分は努力してるのか?考えた、簡単な事である。エネルギーロスを減らす為である。より良いものを購入するのも、総てはエネルギーロスを減らす為である。
私は元々買い換えであまり音質の変化を求めてはいないのだ。音質は自分の様々なやり方(努力と経験)で変えるのだ。アンプやCDを換えても音は天地の差はない。極僅である。
そして、ブログを書いていていつも思う。なぜみんなそんな僅かな差を分かりながらも買い換えを繰り返すのか。
今、確かに高級オーディオショップにいくと、CDがアナログを越えるには400万円必要だと。400万円用意出来ればアナログを越えられる組み合わせもあるとあっさり言われた。
聞いてみたが、そんな事はなかった。それは売り場の方の錯覚である。やはりアナログは名機を使い、調整がしっかりしていれば最高である。
しかし、400万円のCDシステムは、調整なしで確かにかなりの音が鳴ったのも事実である。つまり楽なのである。こんな私がもしも400万円のCDシステムを購入したらさぞや凄い音になるだろう。ケーブルが違うからだ。
それはサブウーハーやグラフィックイコライザーを繋ぎ足し、音を歪める事でもない。ましてや極太ケーブルに換える事でもない。電源だけは違うが。
そして気付いた。入り口に近いほど、少しずつ接点を上手に減らし、しっかりさせていくと。音が静になり、且つ本当の優しく尖った鋭い音がボケないで音尾まで鳴るのだと。
しかも接点の場所によっては、本当に低い低音が再生可能になるのである。
そこで一つ注意だ!その少しずつがとても肝心なのである。気付いても一気に終わらせてしまっては意味がない。日々の積み重ねが、分からないくらい少しずつ雪の様に降り積もっていき。最後には大きな差になる。それを分かって欲しい。
どこをどう処理したらその音になったのかを。克明に、大学ノートに方法と音質の変化を書いておく事である。
その大学ノートに書く内容は、やったことの内容が間違えてない限り。後に、貴方のバイブルとなるであろう。今の私の様に。どんな評論家の文章よりも優れている筈だ。自分が実際に行った実験なのだから。
そして後に、ネットワークの固定抵抗の様に。悪く変化する事もあるからだ。ノートに書いておけば、同じ失敗を繰り返さないで済むかも知れない。余計な部品を何度も購入しなくて済むだろう。
私はノートに書いておいて、後に随分助けられた。人間の記憶力など、たかが知れている。
しかし、一度凄いと記憶した音だけは、やはり忘れないものだ。とは言っても何年かの内に色々尾ひれはつくが。
何年か経ち聞きに行っても、やはり感想はさほど変わらない。その時、自分がどれだけ頑張ったか成果も分かる。他人の音を聞くのはとても大切な事である。
その貴方が感じた優れた方向に、自分のシステムの音を構築していくのだが。なかなか定まらない。経験不足で基礎が出来ていないから場所が特定出来ないのだ。
しかしそれを自分で認める迄にプライドもあり、私は、かなり時間がかかった。
しかし、分かってない事を認めるところから始めないと、同じ事の繰り返しになってしまう。
あまり強く固まってはいけないが、人間、時に勘違いが必要な時もある。
ハッタリでない真の鳴り方は誰が聞いても分かる。凄いのだがうるさくなく聞きやすいと言う事である。時に、自分と全く意見の違う人に試聴して頂き感想や意見を聞くのはとても大切である。
オーディオは生の音に勝てない。これはもう今や死語である。
お金がなくても。優れたレコードをたくさん聞き、上手く鳴らすべく努力した人のシステムには勝てない。これが正解である。
一番不味いのは、お金がなく努力もしない人。そんな人のシステムがお金をたくさんかけた人のシステムの音に勝てる訳がない。
お金がなければオーディオは出来ない。しかしメリハリをつけて、かけるところにだけお金をかける。これがオーディオなのです。
そして、出来る限りいつもシステムを綺麗にしておきたい。汚いシステムからはやはり汚い音しか鳴らない。オーディオは彼方が正しく手をかければ必ず答えてくれる。私はそう思う。
しかし、聞きに来る来客があるからと、急に綺麗にしようとすると色々な接点不良が起こり、実力を発揮出来ない。結局にわかな徒労に終わるだろう。
何事も常日頃が大切である。
今日一日聞いていて。ツィーターの位置がどうにも気になった。ツィーターの開口部下の真っ芯から重りを付けた糸を垂らし、ホーンの喉元との位置を確かめてみた。
何と前後の位置も中心もずれていた、前後の位置は五ミリ程で、中心は二センチもずれていた。合わせて聞いてみた、ボーカルがちゃんと真ん中に来た。
やはり目視では合わせられない。耳ではもっと分からない。言い方を変えれば、耳は違いは分かるが場所の特定が難しい。
しかし、今回ちゃんとなったから良いようなものだが。これは位相の問題以前に立派なエネルギーロスを起こしていた事になる。
オーディオとは常に聞いていて、おかしなところに気付くかどうかである。おかしな所や鳴り方は無限大にある。そこを一つ一つ潰していくのである。
そして私は、やっと自分の、そこそこ広いオーディオリスニングルームを持つことが出来た。今までにたくさん積み重なった大学ノートに書き記された私のバイブルは、新たな部屋のサウンド構築の約にたつのは目に見えている。気持ちでは誰にも負けない。
さて、こんな私に天は新たな広い少しだけ制限のある防音のリスニングルームを与えてくれた。
これはもう正に、気違いに刃物、鬼に金棒?(笑)
とても、楽しみだ。