色々なシステムを聞き歩く事の意味
色んな音を体験し、井の中の蛙になりたくないからである。知らないのと知っているのには雲泥の差がある。そして真に他人の音を聞き分けるには、かなりの鍛練と修行が必要になる。
その時に必要な事は絶対に自分のシステムの音と比較しない事である。かなり難しい事だが、先入観を消さないと聞き分けられない。そうしてあちこち聞いてまわる内に色々分かって来る事がある。
その前に他人の音を聞くと言うことは本を読むのと似ている、同じ本を読んでも人によって違う捉え方をする。それは理解力である。
人は自分に都合よく解釈する。だからいつまでたっても進歩がないのである。耳が痛いが、自分の知らない事や、駄目な部分を認めなければ人は成長しない。簡単に言えば、狭い世界にいると本物が見えないのである。
人の音を聞く時は、先ず先入観を消さなければならない。それが礼儀であり作法である。予め知らされたユニット構成や、使っている機材で想像するものを、予め頭から排除する必要がある。そして、聞かせていただいた方の話をよく聞き、正しくコンセプトや人生観までもしっかり理解することである。
私は最近全く先入観がなくなった、当然自分のシステムを聞くときもである。そんなものを遥かに飛び越えた音を鳴らされている方が現実に居たからである。
もしもある意味、優れたところや良くない所があったとしても、その中から自分にない音がある事に気が付かない事になる。それはピエロであり悲劇だ。
それと、見た目で圧倒されてはお話にならない。地方に行くと土地が広いためか、物凄いリスニングルームがたくさん存在する。そしてそのリスニングルームへ据えられたシステムは、とてつもない機材が並んでいる。
6ウェイマルチなど、実はたくさん存在する。しかしそのどれもがまともに鳴っていない。世界の極希な名機達が物凄い数で並んでいる。しかし一緒に行った同行者はそのウーハー四発の2ウェイシステムの巨大なシステムの見た目と低音のエネルギーに圧倒され、肝心な音を広く聞いていないのである。
しかしツィーターがないので、高域の最後までのびきった様な素敵な音がないのである。私は直ぐに気が付いた。同じ時間同じ時に聞いても全く違う聞き方になってしまう。
クラシックの交響曲であった。針が乗った瞬間に、ウーハー四発の低音のエネルギーに圧倒され、同行者は分からなくなったのである。私はむしろ響きを聞いていた。クラシックは直接音もあるが、なんと言っても響きを聞くものである。
私は大変失礼とは思ったが、1.5μfコンデンサーを繋げたツィーターを持参していた、上手く繋がると憶測していたからである。簡単にドライバーの入力端子から繋げてもらった。
聞いた瞬間、巨大なシステムの主はこう言った、「私は井の中の蛙だった」と。それを瞬時に聞き分けるセンス、それを認める心のスケールの大きさに私は逆に脱帽した。
主は自分のシステムが最高だと明らかに思っていた。しかし私が持参したツィーターは、大した代物ではなかった。「これをこのまま譲って欲しい」と言われたので、ご自分でお探しになって欲しいと私は恥ずかしくなりお伝えした。
主は資産があり、たくさん購入し聞いてみた結果、ゴトウユニットのツィーターに辿り着いたと数年後連絡がきた。
それから事ある毎に連絡は取り合ってはいるが、それからは二度と実際に聞いた事はない。主はずっと私に今でも感謝してくれている。
このお話は、私がまだ若かった正にバブルの頃のお話である。
この様な事があるので、オーディオは簡単に語れないのである。井の中の蛙である事、そこに気が付かないと私も含め、ずっとそのままである。
その主は、「オーディオは使っている機材の優劣ではない、巧みな鳴らし方である」と。私よりも先に気が付いた。散々お金を使い、世界の一流品を揃えたから分かった事である。それでもなお、先日聞いた富士宮の6ウェイマルチの音には辿り着いてはいないだろう。
しかし、その中には正に、これでなければと言うものが確かにある。あまりにもお金がなければオーディオは出来ないが、べらぼうに財力があっても所詮は人が作ったもの。完璧に音を良くする組み合わせ等どこにも存在しない。
言い切ってもいい。オーディオはセンスと、間違いに気付き認める大きな寛大な心が必要である。
たくさん聞き歩き、私はそこに気が付いた。そして今に至る。暫く聞き歩くのは止めていた。しかしあちこち聞き歩くのをまた始めた。
楽しみに行くのではない、むしろ苦痛でもある。色々経験しないと、今より先へは進めないからである。そして色々な方の考えや、やり方を知りたいのだ。結局は反面教師にしたり、採り入れたり、自分を磨く為である。
ここから読まれた方は、過去のブログを総て読んでみてほしい。間違いも多々あるが私はあえて訂正していない。しかし、過去から現在に至るまでの経緯が分かる筈である。積み重なって来たもの、そしてそれが今のサウンド構築にマイナスになっている事は何一つないのである。
謙虚な心で人のサウンドを聞き歩く事は、とても大切な事である。ブログを読むのも同じ事である。