オーディオの真実
さて、それはいったいどこにあるのだろうか?私は考えてみた。
素晴らしい世界の名だたる圧倒的な高級品を探し、ところ狭しと揃える事だろうか?私は違うと思う。努力して鳴らした音、そこにはどんなものを使っているかなんて全く関係ない。今鳴っているのは貴方自身である。
優れたものを使うのは確かに大切な事である。しかしお金がなけれはオーディオは出来ないのか?そんな話しはないだろう。
お金がなけりゃ10万円で良い音のシステムを構築出来る自信がある。しかし、どこのメーカーの何番と何番を組み合わせると相性が良く、上手く鳴るシステムがある等オーディオ評論みたいな事を私は言わない。そんなものははじめからどこにもないのである。
やはりオーディオは、もって生まれたセンスがないとシステムを構築出来ない、そう思う。
なまじ妙な意見を聞きかじるから妙な音になってしまうのである。そう話す私も昔は相性みたいなものがあると思っていた。しかし、お金をたくさん使ってもそんなものはどこにもなかった。
ジャズ向き?クラシック向き?Jポップ向き?なぜ何年経ってもこの言葉はなくならないのだろうか?
いい加減うんざりする。騙されるなっ!そんなものどこにもありはしない。
音がゴージャス?そんな音もこの世にない、オーディオはオーディオでありゴージャス等どこにもない、単なる機械である。
ただ憧れの様にあるのは、優れた先人達が努力の果てに鳴らした素敵なサウンドの星達である。ではそれを貴方は本当に聞いたのか?違うだろう?人から聞いたのだろう?私は昔から自分のシステムと比較して聞いたのである。
そして、良い音だなと思った方は、やはり素人ながらみんな雑誌等に紹介され有名になっていった。しかし音はそこで止まってしまう。
ではどこに何の努力もしないでシステムを上手く鳴らした人がいるのだ。良い音だと言われる達人達は、地を這うように努力をした結果、その様に鳴らす事が出来たのである。
お金があるからではないのである、そう言う人に素晴らしい仲間やお金や優れた機材は不思議と集まるのである。
オーディオは独りでは出来ない、様々な人に聞いていただき他人が良いと認めたらそれが良い音なのである。
自己満足では、いつか井の中の蛙になる。何とかして良い音を鳴らそうと努力する。それがオーディオだと思う。