人は誉められて向上する
少なくとも私はそうだった。本当に好きな事しかしてこなかった天然者である。
しかし今は、歳をとって駄目だが、運動神経だけは抜群だった。しかし運動とは言っても集団行動が苦手なので、一人で鉄棒やバクテン、バクチュウをひたすら練習した。
同級生では出来ないウルトラCがたくさんあった。それを担任の先生はとても大袈裟に誉めてくれた。
その運動もやがて飽きて、まだ小学生の時である、一人で街へ出た時、楽器屋さんのショーウィンドーの中のトランペットの美しさに目が釘付けになった。
一時間程眺めていただろうか?いくら眺めていても飽きなかった。お店の方が出ていらした。吹けるの?「いいえ」「吹いてみたい?難しいよ」
うんっ!買えないけど吹いてみたい。私がどんなに息を吹き込んでも空気が抜ける音だけだった。
店主は私にマウスピースをくれた、三千円だったと思う。暫くはそれでブーブー吹いていた。トランペットは三管楽器である。
唇の張り加減と三つのピストンにで管の長さを変えて音階を作るが、マウスピースだけでも美しい音は鳴らないが、やがて曲になるのである。
それから二年、しかしやはりマウスピースを本物のトランペットに差して吹いてみたくなった。
私の生まれた街は北海道の自衛隊の街だった、年に何度か音楽隊が街を練り歩くのである。たくさんの楽器の中で私にはトランペットが主役に見えてかっこよかった。
そして、中学生になった。相変わらず、自転車で街に出て行っては楽器屋さんのショーウィンドーをいつも眺めていた。お店の方は「そんなにトランペット欲しいの?」と聞いてきた。
欲しいけど14800円は、高過ぎて買えない。と話すと…何回かに分けて毎月ちゃんと支払ってくれるなら持っていって良いよ、と言われた。10回払いにしてもらい、親に黙って買ってしまった。
当然マウスピースで練習していたので、直ぐに吹ける様になった。その綺麗な輝く音は、川原の様な広い所で思いっきり吹くと感動的だった。父ははじめて私を誉めてくれた。お前のトランペットの音は、柔らかく広がって良い音だ。
しかし中学二年になり、街にはキャロルの曲が流れ出した。もう一度笑って、もう一度キスして、お願いだから。ロックバンドのキャロルのルイジアナとファンキーモンキーベィビーである。痺れた。
それまでの長いサラサラの髪を、丹頂チックで後ろにまとめオールバックにした。私は、人とつるむのはあまり好きではなかったが、ロックバンドを組んだ。
女の子からもてはやされた。完全に舞い上がってしまった。そしてギター少年になって二十歳位までロックをやっていた。
しかし大学の二部に受かり、昼間はアルバイト。そこで知り合ったオーディオマニアのJBL4343を聞いてあっさりギターを断念。
そのオーディオマニアは、私のギターテクニックをとても誉めてくれたが、それからはオーディオ一辺倒になってしまった。
そして元々音に対する感覚が鋭かったのか、音を良くしていった。当然周りは私の再生音が普通とは違う事に気が付き。
たくさんのオーディオファンが私の周りに集まった。そしてたくさんのお誉めの言葉を頂いた。
私は楽しくなり木に登ったのである。そして現在に至る。しかしずっと両親からの理解を得られずに生きてきた。やっと今年私の話が両親に伝わった、そんな感じである。
私は本当に箸にも棒にもかからなかった。しかし悪い方へ行かない様に私を軌道修正してくれたのは、親でも学校の先生でも友達でもなく、オーディオである。
しかも、自分で話すのも馬鹿みたいだが。どうやら私のオーディオの方向は紆余曲折あったが、間違えていなかったようである。私は負け惜しみではなく、高級品に全く興味がないのである。
過去にたくさんお金を馬の様に働き稼いで使い、いかなる高級品を購入してみても、音に天と地の差はなかった。
その使った金額は、いまのハイエンド等比較にならない。フォーウェイマルチも試したが、今の様な優れたチャンネルデバイダーもまだなく、音は常に不満があり、まとまる事はなかった。
今のシステムはその集大成なのであり、総て分かってやっているのである。
話しはそれたが、人はこの様に人生の大切な岐路に立った時、誉められてのびるものなのである。つまりは勘違いがはじまりとなる。そして私の場合、それがたまたまオーディオだった、ただそれだけである。
だから人は誉められて育つのである。それが天職なら尚更楽しい。私は幸せな部類だと思う。オーディオ、ありがとう!
そして、自分の事を一番分かっていないのは自分自身である。でも自分の駄目なところや良い所を総て認めよう。
やりたい事が見つからない?それはもう貴方の目の前にある筈である。それは貴方が楽しく笑顔になる事である。誰にでも必ずある。でも覚悟は必要である。好きな事なら出来るだろう。
勘違い大いに結構です。