色々な視点
同じものを見ていても少し違う方向から見ると全く違うものに見えます、なので文章は難しいのだと思います。
私はこの事をオーディオを通し気付きました、映画がそうです、誰の目線でどこから描くかによって全く違うものになると言う事です。
例えばこうです、ある事件をもとにした映画を作ろうとしたとします。
警察側から見た内容を描くのか、被害者側から見た内容を描くのか、犯人側から見た内容を描くのか、もっと色々な方向もありますが、全く違うものを描けますよね。
オーディオもそうなのです、例えば低音を改善しようと低音の事ばかり考えていても、あなたの思い描いた低音にはなりません。
それは何故でしょう、低音は低音だけで鳴ってるからではないからです、他の中音、高音の帯域が低音再生に絶妙に深く関わっているからなのです。
でもこんな事も分かってしまえば当たりまえの事で、広いオーディオ知識の中でのほんの一部にしかすぎません。
しかしあまり理解されないようです、そんな事を考えていたら、映画の話しと繫がりました。
どんなに会話をしても色々な文献を読んでみても、自分も含め人は自分に必要な内容を自分の読解力でしか理解出来ません、私は六十歳まで生きてきて様々な人間をみてきました、上手い具合に進歩した人、何時まで経っても変わらずそのままの人、極端に落ちていった人、色々な理由があり逃げた人、しかし若い頃からその本質は多分昔から変わらないのだと思います。
私は十年ほど前オーディオをやって来て限界を感じ、何にも分かっていなかった自分に気が付きました、そして家内に相談してみたのです、家内はこう言いました『貴方も進歩したね、駄目な自分を認めそこからまたスタートすればいいんじゃない?誰もそこを分かっていないんだから、分かっただけ儲けものだよ』この言葉を聞いた時心が軽くなりました。
そして機材の性能ばかり考えてきた事に嫌気がさしたのです、今私はまだまだではありますがある程度不動の音を手に入れました『オーディオはほぼ完成されている、手を入れなければいけないところも確かにあるが、完成されているものを正しく動作させる事が出来たらもっと上手く鳴るのではないか』そう感じたのです。
私は自分なりに出来る限り丁寧にオーディオのお膳立てをしてきたのだと思います、駄目なものは機材を新たにしたりしましたが、振り返り思います土台が駄目なものは総てが駄目になる。
はじめは自分で『何をやってるのだろう?』そう思った事もありますが、結果それが今のシステムの音が答えだったのだと思います。
私はこれからもお膳立てを重ねていくだろうと思います、正しい理論や方向や方法は確かに存在します、それをどの方向からみてどのように理解するのかはやはり経験を積むしかないようです。