コロナ疲れ
今世界はコロナ禍です、日本だけではありません、経済だけを見ると確かに世界規模でガタガタだと思う、しかし誰の責任でもないのです、今は言った言わないで直ぐに責任問題になります変な時代になったものです、かたをもつわけではありませんが管総理も大変だと思います。
しかしこの緊急事態宣言、何故はじめから三月いっぱいにしなかったのでしょうか?今のままではまた効果が薄く大した改善は見込めない気がします。
借金までして開店を心待ちしていたのに『またかよ』そう思った飲食店の店主の声が聞こえてきます、開店準備に雇ったスタッフの給料も支払わなければなりません、正に青息吐息ではないでしょうか。
しかしこう話す方もいらっしゃいます『元々人間は免疫力がある、コロナはたんなる風邪、あまり家に籠ってないで外に出て免疫力をつけた方がいい、それでもしコロナに感染して亡くなったらそれがその人の寿命であり、運命だ』とんでもない考え方である。
そこであっさり話を終わらせれば良いのに、それを人に押し付けるように何度も話す、では残された家族はどうなるのか?まともな考え方ではない、同じに思うところもあるが、それは人に話す事ではない、心で思っているべき事だと私は思います。
もしその考えをテレビで話したらどうなるのか考えたら分かるでしょう?間違いなく集中砲火を浴びることになるでしょう。
世の中自分の考えが全てではないのです、またタブーとして原発の話しもそうです、たくさんの人が集う場所で話す内容ではありません、色々な立場の人がいらっしゃるからです。
世の中何でもありではありません、最近この様な人がたくさん見受けられます、自分も含め注意したいものです。
そして、コロナ疲れそんな言葉は本来ないのです、あまり外出しないのは体力もお金も使わないし、貧乏人は上手にやりくり出来ればとても素晴らしい時間になります、現に我が家は夫婦二人で工夫して音楽とともに楽しい家飲みライフを楽しんでいます。
とは言っても貧乏ったらしい生活をしてる訳ではありません、その全ては美味しいものばかり、しかしたまに外す事もありますが、それはそれで笑い飛ばす位の心の広さを持ちましょうよ。
我が家にコロナ疲れは感じません。
テレビを観ているとあの時はこうだったもっとあの時こうしていこたら、責任問題ばかりがクローズアップされている、私はこう思う、終わった事を話し合ってももう終わってしまった事、そんな事よりもっとこれからの事を話し合うべきではないのか。
いくら話し合ってもまた同じことが繰り返されるだけ、正にオーディオと同じだと思うのは私だけだろうか…