自由に生きてきた

どうせ音や音楽を求めるなら徹底的に追求したい、利口でなれず、馬鹿でなれず、中途半端じゃ、なおなれず。

ならば私は本物の馬鹿になりたい、とは言っても的外れな事を繰り返していてはいけない、それではたんなる馬鹿になってしまう。

色々知った上で、こじゃれた粋なじいさんになりたいと言いたいのである。

私は来年還暦を迎える、世間的に会社を退社、立派なじじいである。

しかし生きてるんだか、死んでるんだか分からないような、誰からも相手にされないような、小汚い年寄りにはなりたくない。

私に終活とか引退を考えるアイテムはない、いつか誰にも鳴らせなかった素敵な音や音楽を鳴らし、もう帰って来ない時代と、巨匠達の音楽を聴き、思いを馳せたい。

しかし何処にでもあるような、ありふれた音で私は満足出来ないのである。

馬鹿になるとは半端でないと言う意味である「あなたは変わってる」よく家内に言われる。

それを言われると私は嬉しくなる、元々私は普通ではない、だからいくら職場をかえても、みんなと馴染む事が出来なかった。

つまり人との協調性がなく、嫌な事はせず、常に好きな事をしたかった、そんな私が沢山の人の中での仕事に馴染める筈がない。

しかし好きな事だけをして生きるには、それ相応の覚悟も必要であり、良いことばかりではない。

私はよく人から誹謗中傷をうける、何故なのか考えてみた、答えは簡単、認められてるからである、それが羨ましいのである。

人をこき下ろし、こちらを不愉快にさせる事でしか自分を保てない、寂しい可哀想な方々なのである。

少なくとも、そんな人間にはなりたくない、色々経験し色々よく見聞きして理解し、好きな事を徹底的にして生きたい。

そして真実を知りたい、他人を超えるとは、自分自身を超える事である、そう思いませんか?

本日の珈琲はコスタリカ、旨いグッド。

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